22『滅びに意思を伝えよう』



 あなたの乗った馬は暴れだし、ある人たちを傷付けた。
 ある人たちはあなたを責めた。そしてあなたも自分を責めた。
 しかしある一部の人たちは逆にあなたを慰めた。
 あなたの所為ではない、これはあなたの意思ではないのだから、と。

 ある時、また別の馬に乗っていた時、また馬が暴れ出した。
 馬の暴走の彼方にはある男が立っていた。
 あなたは手綱を手放し、逃げてくれと叫んだ。
 しかしその男は決して逃げず、あなたに向かってこう言った。

 お前が本当に人を傷付けたくないのならば、馬を操る事を諦めてはいけない。
 ここで馬を止める事が出来るようになれば、お前はもう二度と人を傷つける事はないだろう。

 そしてあなたは再び手綱を手にとった。



 フィラレスはその一部始終を見ていた。
 何度も危ない局面を《飛躍》等で避け、民家の中に避難したと思うと、窓から飛び出た。
 そして次の危機には、フィラレスは思わず目を覆いそうになった。
 窓から飛び出して来たリクを、光の帯が前後、上下、左右ありとあらゆる方向から襲い掛かる。
 もう逃げるところはない。

 ところがリクは、光の帯達の隙間を通してフィラレスの目と目が合うと、何とも自信のありげな笑みを見せた。

「《瞬く鎧》によりて、この一瞬、我は全てを拒絶する!」

 唱え終わると、光が一瞬ほとばしり、リクを目指して走っていたはずの光の帯達は一瞬にして四散する。

 この魔法《瞬く鎧》は初心者を脱したばかりの魔導士ならば誰でも使えるくらい簡易な呪文でありながら、全ての物理攻撃、そして相当上のレベルの魔導攻撃をも防ぎ、弾き返してしまうくらい強力な防御魔法である。
 しかし読んで字のごとく、その強力無比な障壁はほんの一瞬しか、そこに留まる事が出来ず、また、魔法の効果が発生するタイミングが非常に安定しにくい魔法なので、唱えるタイミングが非常では済まないほど難しい。だから、この魔法を本当の意味で使える魔導士はごくごく限られているのだ。
 少なくとも、リクの年齢でこれを完璧なタイミングで使えるのは異常だ。

 次には別の光の帯がリクに向かって飛ぶ。
 リクはそれを正面に見据えると、まるで今から弓を引くかのように手を反らした胸の前にもって来た。

「我は放たん、」

 リクの構えた手に炎が起こり、弓矢の形になった。彼はそれを、本物を扱うかのように力強く引き絞る。

「射られし者を炎に包む《炎の矢》を!」

 唱え終わると同時に、リクは一杯に引き絞った炎の矢を放った。
 放たれた矢は赤く燃え盛る尾を引きながら、リクに向かう光の帯に向かってまっすぐ飛んで行く。
 衝突すると同時に小規模の爆発が起こった。
 その爆風に逆らい、リクはその爆煙の中に突っ込んだ。

 その光景も、フィラレスはずっと見ていた。あの状況で助かったのは全く信じられない事だ。マーシアやカルクでさえもあの四方八方の攻撃は防ぎきれたかどうか分からない。
 しかし彼はそれをやってのけた。
 あれだけの事をこなせるのだから、彼は逃げる事ができるはずだ。

 しかし、何故彼は自分に向かってくるのだろう……?

 一旦、フィラレスの“滅びの魔力”を前に、撤退する様子を見せた彼ではあるが、その後、彼はまた地道に彼女の近付きつつある。
 この場から逃げれば、全ては終わるというのに、何故か彼は全く逃げようとする素振りは全く見せない。
 フィラレスにとってこれはあまり歓迎できる事態ではなかった。
 逃げて姿が消えてくれれば、意識を集中してこの光の帯達の暴走をおさめる事ができるのだが、彼はそうさせてくれない。
 彼はそれが分からないほど魔導の知識に疎いようには見えない。

 彼が見た目ほど魔導には詳しくないのか。
 それとも、かれはこの状態のフィラレスでも倒せる自信があると言うのか。
 後者であってほしい、とフィラレスは思った。

「我は放たん、射られしものを炎に包む《炎の矢》を!」

「我は投げん、その刃に風巻く《風の戦輪》を!」

「我は叩かん、衝撃が凍結を生む《氷の鎚》にて!」

(くそったれ、キリがねぇ!)
 光の帯の攻撃を迎え撃ち、攻撃をかいくぐりながら、彼は密かに舌打ちをした。
 リクはあの危ない局面を乗り切り、割と余裕で他のものを避けているように見えたが、実際はそんなに楽なものではなかった。
 大体あの危ない局面を乗り切った時も冷や汗もので、あまりの緊張に顔が引きつりかけたくらいなのだ。
 魔力の節約を止め、少しは楽に光の帯の攻撃を避けられるようになったにしても、これをとめる手段など一つも思い付かないでいた。
 ただ一つ、フィラレスに言いたい事があった。
 だから彼は、彼女に向かって少しずつ前進しているのだ。

「我は突かん、槍穂に裁きを宿す《雷の槍》にて!」

 バチバチと放電を起こしている長い槍の形をした紫色の光で突き、目の前の光の帯を片付けた先に、フィラレスはいた。
 フィラレスは目の前に現れたリクを複数の感情を込めた目で見ていた。

 何故逃げないのかという疑問。
 早く逃げてほしいという願望。
 そして、もう誰も傷付けたくないという意思。

 それらの感情を全て受け止め、リクは口を開いた。

「フィリー、悪いが俺は気が変わった。ここからは逃げるつもりはない」

 そして振り向きざまに自分の後ろに来ていた光の帯を《風の戦輪》で斬り付けて防ぐ。そして向き直ると、続けた。

「かといって、お前を倒してコレを止める自信はない」

 今度はフィリーから目を放さずに、右側より迫る光の帯を《氷の鎚》で叩き潰す。

「つまり俺が助かるには、お前自身がコレを止めるしかない訳だ」

 左手、そして頭上からリクを狙う光の帯を《炎の矢》、《雷の槍》で防ぐ。

「出来ないとは言わせない。腐ってもお前の魔力だ」

 三方向からきた光の帯を《瞬く鎧》で弾き返す。

「いいか、お前が本当に人を傷付けたくないと思うなら、しっかりと自分の魔力をコントロールする事を諦めるな」

 彼の言葉にフィラレスは当惑の表情を見せるばかりだ。
 何故、彼は逃げてくれないのだ。
 逃げてくれれば事は済むのに。
 自分はこんなに彼を傷付けたくないと思っているのに。

 リクはその当惑に答えるように付け足した。

「皆が皆、俺みたいに逃げられるのならいいけど、世の中のほとんどの人間はコレを前にしてはあまり長い事は持たない。腰を抜かして動けない事だってある。足を怪我して走れない事だってある。
 お前はそんな連中にも逃げてくれと言い続ける気か? 魔力のコントロールもろくにしようともせずに。
 そりゃこの魔力が強すぎるのも分かる。性質が悪いのもな。はっきり言って、ファルだってコントロールしきれるか分からねー。
 でもこれだけは言えるぞ。ファルがこんな状況になったら笛から口を放して皆が傷付くのを黙って見てる訳ねーよ。きっと一人でも助けようと夢中で笛を吹く。自分は絶対に出来るって信じながらな。
 フィリー、人がいても魔力を鎮められるようになってみせろ。そうすればお前はもう、大好きな人を傷付けなくて済むんだ!」

 魔力をコントロールする事を諦めない……?
 絶対に出来ると自分を信じる……?
 そうすれば、自分はもう誰も傷付けなくて済む……?

 フィラレスはまだ自分から目を放さず、激しい光の帯達の攻撃を凌いでいるリクにこくりと頷いて、右手にもったままだった笛を構えた。

 笛の音色が安らかな音楽を奏ではじめた。
 まるで泣き止まない乳児をあやす子守唄のような、静かで、眠りに誘う優しい曲調。

 しかしいきなり集中して吹くのは難しかった。
 早く事を収めなければ、リクがいつかやられてしまうのではないか、という緊張から手が震え、息が震えて、音が乱れる。
 音の乱れは中途半端な魔力の制御を生み、その所為でリクを攻撃する光の帯達の動きが不自然に、変則的になって来た。
 リクはできるだけ彼女を見つめていたが、だんだんと目を放す時間が多くなって来ている。そしてその事が、フィラレスの集中を乱す原因となり、悪循環が続く。

 と、その時、とうとうリクの守りが崩された。
 突然フィラレスの正面に生まれた光の帯が、その目の前にいるリクを襲った。
 さすがのリクもこれには反応しきれず、とっさに最低限の障壁を張り、攻撃を受けて後方に吹き飛ばされる。
 倒れたリクに一斉に光の帯達が群がるように迫る。

 フィラレスはこの瞬間、もう駄目だ、と思った。
 しかし連想的にリクの言葉が脳裏に蘇る。
 諦めるな、と言う言葉が。

 落ち着かない心の中でフィラレスは考えた。
 どうすれば、どうすればこの獰猛な魔力を制御できる……?


 以前に一度、マーシアを“滅びの魔力”で大怪我させた事があった。
 ある事件で、フィラレスは魔力研究所のその身をおく事になるのだが、その時にフィラレスの教育係に指名されたのがマーシアだった。
 魔力研究所にてつくられた魔封アクセサリーをつけたままだが、マーシアの見ている前で何度かこの魔力を発動させる事があった。
 その中の一回で、フィラレスは魔力の暴走にマーシアを巻き込んでしまったのだ。
 事が収まった後、フィラレスは血まみれになって倒れたマーシアに駆け寄って何度も謝った。自分のような危険な存在はやはり消えてしまった方がいいとさえ思った。
 しかし、マーシアは、そんな彼女ににっこりと、苦痛に少しも顔を引きつらせる事もなく微笑んで言った。
「“滅びの魔力”はあなた自身の魔力よ。確かに他の魔力とくらべると、誤解をしやすい魔力だけど、ちゃんとあなたの意志を伝えれば、魔力もそれに応えてくれるわ」


 意思を伝える。
 滅びと名付けられたこの魔力に、自分の意思を……。

 吹き飛ばされたリクに群がる魔力は依然彼に迫り続けていた。
 リクはかろうじて起き上がると、急いで呪文を唱え《瞬く鎧》を発動させる。
 しかし弾け飛んだ光の帯達の影に、また別の光の帯の群れが彼に迫って来ていた。

(ヤバい、波状攻撃になってやがる)

 第二波の攻撃は第一波よりは数が少ない。しかし、《瞬く鎧》はもうタイミングが合わないし、かといって《炎の矢》や《風の戦輪》で迎え撃つには数が多すぎる。《飛躍》なら何とか使えそうだが、先ず立ち上がらなければならない。しかしそれは最初の一撃のダメージが効いているために出来なかった。
 魔力で出来る限り厚い障壁を張って、この場を耐えきるしかない。

 いよいよ光の帯達が目前に迫り、リクは衝撃に備えた体勢をとった。
 それが当たる直前、彼は全身に力を入れる。

(来やがれ、耐えてやる……!)

 しかしその攻撃が当たる事はなかった。
 彼に当たる一寸前でその動きを止めたのである。
 そして光の帯達による破壊の衝撃音のかわりにこの場を支配したのは、フィラレスの吹く笛の音だった。


 止まりなさい。私の獰猛なる魔力達。
 鎮まりなさい。私は誰かが傷付くことは望まない。
 収まりなさい。ここには破壊していいものは何も無いのだから。


 その一念は笛の音に乗り、音波として響く。その響きに応えてか、先ず彼女が纏っていた光の衣が無数の光の破片となって消えた。それは、それと繋がっている光の帯達に伝わりはじめ、光の帯はどんどん光の破片となって砕け散ってゆく。
 そしてリクに迫っていた光の帯達も散り、光の粒子となって彼に降り掛かった。

 リクは衝撃に備えた体勢のまま呆然とした。その視線の先には息を乱して、膝をつくフィラレスの姿があった。
 彼女に駆け寄ろうと彼は立ち上がったが、そもそも立ち上がれず、《飛躍》で脱出出来ない身体である。身体が痛み、彼はよろめいて倒れた。
 だがもう一度、今度はゆっくり立ち上がり、ふらふらとフィラレスに近付いて行く。そして息も荒く、肩を大きく揺らしてうずくまっているフィラレスに、「大丈夫か?」と、声を掛けた。
 その声にフィラレスはこくりと頷き、憔悴感を感じさせる息をつく。そしてフィラレスが何か問いた気な表情をリクに向けた。一度光の帯の攻撃を喰った彼の身を案じているのだろう。
 その意味を理解したリクは「ああ、俺は大丈夫だ」と、ニカッと笑ってみせると、彼女は安堵と達成感を含め、まぶしいくらいの微笑みを返して見せた。

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